お絵かきの楽しさってなんだっけか

なんか最近はもうゆる絵みたいなのばっかり描いてる

正直上手い絵描きたいみたいなモチベがもうきつくなってきてて、絵を描く楽しさみたいなのがマジでわからんくなってきてたので
今ゆるい絵をなんのプレッシャーもなく描くことでもう一回絵を描く楽しさを思い出そうとしてる節はある

なぜかSNSの反応も悪くなく、余計ゆる絵を描くのが気持ちよくなってきてしまっている
結局絵が楽しいのか、承認欲求を満たしたいだけなのかよくわからん状態になっている
(承認欲求自体はまぁ需要に応えたものを作るという点で良い風に作用するから、別段悪いものでもないと今んとこ思ってる)

ただゆる絵はすぐに完成するので、考えたネタが温かいうちに完成形を見られるのはやっぱり楽しい気もする
ガチ絵だと完成する頃にはもう下記はじめの熱意みたいなものはだいぶ薄くなってることが多い
(自分はカラーとかだと何日もかかってしまうので)

それにデッサンとかそういうのを全く気にしないお絵かきっていうのは、子供の頃の楽しいお絵描きを思い出せて精神衛生にもいい
もしかしたらデッサンとかが無意識に取れるレベルになれば、上手い絵を楽しくかけるようになるのかもしれない

要するに考えながら描く絵が楽しくないんであって、考えなくても形が取れるレベルの鍛錬が必要なんだろうなぁ
寺田克也先生なんてライブドローイングやってるときデッサンのあたりとか取ってないもんな

そう考えると、インプットのお絵描きとアウトプットのお描きを分けておいたほうがいいのかもしれない
デッサン練習やクロッキーはインプットのお絵描きで、アウトプットのときは無心で描かなければいけない

無心と言っても、デッサンとか技術的なことを考えることをしないという話で、テーマやネタのことだけに集中するという意味

結構スポーツに似てるかもしれない、絵描きにおいてデッサンやクロッキーは、スポーツで言うところの素振りなどの動作をインプットするための運動で、
試合ではそれを無意識に出せる状態にすることが理想であって、試合中に「フォームがどう」とか考えているようではいけないという話なんだ、きっと。

絵もアウトプットする(人に見せる、仕事で描く)時に、デッサンがどうとかに意識を取られてはいけないのだ
それは練習時点で意識するべき点で、アウトプットのときには「何を描くのか、何を表現するのか」に集中すべきなのではないか

っていう仮説。
自分でも考えながら今書きなぐっているので、支離滅裂だったり色々重複したりしてるかもしれないけど
こう考えると、もっと楽しく、尚且つ上達もしていける、お絵かきとの付き合い方のヒントになりそうな気がする


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